Fさんは大学の4年生。工学部で電子回路の研究を行っている。入学当初は地元の電子機器メーカーに就職したいと思っていたが、今は大学院に進んでより知識を深めたいとも考えている。
自宅から大学までは車で1時間ほど。キャンパスが山の中にあるため交通の便が悪く、多くの学生がマイカー通学している。Fさんも1年生の夏休みに免許を取り、その年の秋からマイカー通学を始めた。
当初は姉から譲り受けた中古の軽自動車に乗っていたが、この春休みにスポーツタイプのクーペに乗り換えた。2年かけてアルバイトで購入資金を貯め、足りない分は親と姉に頭を下げて貸してもらった。
その日、Fさんは実験が長引き、さらに同じ研究室の仲間たちと結果について議論していたため、研究室を出た時は午後11時を過ぎていた。キャンパス内の学生駐車場に向かうFさんの足取り、そして気持ちは重かった。
工学部の4年生ともなれば、夜遅くまで研究室にこもることは決して珍しくない。夜の闇に負けないほどのFさんの気持ちを暗くしていたのは、自分のミスが原因で実験をやり直さなくてはならなかったからだった。
Fさんはキャンパスを出ると、いつもとは違うルートに愛車を走らせた。市街地につながる通学路ではなく、さらに山奥に入っていくルートだ。
Fさんは気分が落ち込んだり、ストレスがたまった時には、このルートを走ることがよくあった。夜のワインディングロードを走っているうちに、気分も晴れてくるのである。
Fさんはお気に入りの音楽をかけながら、夜の闇の中で車を走らせた。もっとも、それほどスピードは出してはいないし、出すつもりもなかった。気合いの入った峠の走り屋連中が見れば、バカにされるような速度であっただろう。
10分ほど走っていると、ムシャクシャした気持ちもかなり落ち着いてきた。
そろそろ帰るか、明日は朝イチから講義が入ってるし…
Fさんは車をガードレール沿いに止め、Uターンして帰路に就いた。
2、3分ほど走っただろうか、Fさんはふとルームミラーに視線を移した。何かが映ったような気がしたからである。後続車もなく、街灯も設置されていない。Fさんは気のせいかと思い、再び視線を前方に戻した。
急に車内が冷えたような気がした。エアコンはかけていない。背筋がゾクゾクと震えるような感覚に襲われた。Fさんはもう一度、ルームミラーを見た。
信じられなかった。白い影のようなものがはっきりと見えた…人がリアガラスに張り付くような格好でFさんを見ていた。
体が動かない、声も出ない。目の前にはガードレールが迫ってくる。Fさんは全身の力を振り絞ってブレーキを踏み、ステアリングを右に回した。
しかし、遅かった。Fさんの車はスピンして反対車線のガードレールにぶつかって止まった。Fさんは歯をガチガチと鳴らし、ステアリングにしがみつくようにして震えていた。
しばらくして、恐る恐る振り返ると、そこには何も映ってはいなかった。ガラス越しに不気味な夜の闇が広がっているだけだった。
Fさんは何を見たのだろうか…? |
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怪談話の季節にはまだ少々早いようだが、Fさんにとってはとんだ真夜中のミステリーとなってしまった。状況を見る限り、物損事故にとどまったことが不幸中の幸いと言えるだろう。
さて、今回のケースであるが、Fさんが車の操作を誤り、ガードレールに衝突してしまった。事故の形態は単なる自損・物損事故である。
従って、事故処理も単純な流れになる。車の修理費用は車両保険(加入していれば)、ガードレールなどの公共の財物の修理費用は対物賠償保険で賄うことができる。
仮にFさんがケガをしていても、その治療費には搭乗者傷害保険を利用すればいい。敢えて補足するなら、事故処理に自動車保険を使うことで、次回契約時に等級が下がることになる。
もっとも、この“結論”にFさんは完全に納得することができるだろうか?
事故の原因はリアガラスに映った“白い影”にある。Fさんはそう思っているはずで、それが現れなければ、事故は起こらなかったと主張したいところであろう(読者の皆さんも、自分がFさんの立場になったことを想像して考えていただきたい)。
しかし、それはこの状況を変えることにはつながらないであろう。Fさんが「事故は幽霊が出たせいだ」と主張しても、Fさんがこの事故について負うべき責任や義務が軽減されることはない。
事故の原因を他者に求めるためには、まずはその事実を証明する必要がある。例えば、当て逃げされた場合、当て逃げした車(と運転者)が特定できなければ、損害賠償を請求することはできない。また、玉突き事故などでも、当事者が状況によっては最初に事故を起こした車の運転者に損害賠償を求めることが可能だ。
今回のケースに当てはめれば、Fさんはまず幽霊が出たことを証明しなければならない。これだけでも極めて非現実的なことであるのに加え、次のステップとしては幽霊に対して損害賠償を請求することになる。常識的に考えても、この事故がFさんによる自損・物損事故で処理されるということがおわかりだろう。
今回は“幽霊”というオカルトチックなケースを取り上げたため、読者の皆さんにはリアリティを感じにくい人も多いだろう。しかし、幽霊を“不可抗力”や“予期せぬアクシデント”と置き換えて考えていただきたい。
風で飛んできた紙、対向車がはねた水がフロントガラスを覆って前方が見えなくなった、飛び石でフロントガラスにヒビが入り、視界が損なわれた。その結果、事故を起こしてしまった…。
また、運転中に足がつってブレーキが遅れた、病気の発作に襲われて正常な走行が不可能になって事故を起こしてしまった…。
こうしたケースでも、運転者の自己責任として処理されるのが基本だ。運転者が負う安全運転義務の範疇には、突発的な出来事に対処できるように運転する(安全な速度で走行したり、体調を維持するなど)ことも含まれている。当事者の立場では割り切れない、納得できない事例であっても、それが運転する者の責任なのである。
読者の皆さんには、こうしたケースの当事者とはならないよう、常日頃から細心の注意を払ってステアリングを握っていただきたい。それが、当事者にならない近道なのだから。
さて、Fさんであるが、彼が目にしたのはいったい何だったのだろうか? ガラスに映った周囲の何か(木々や野生動物など)や後部座席の荷物を見間違えたのか、それとも本当に…? |
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※このケーススタディは編集部が作成したフィクションであり、実在の人物や団体等とは一切関係ありません。
また、写真も本文とは無関係です。 |
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